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考えた事十三が忌み数である由来を太陰暦に求めた | 15.07.19 (日)

13 日の金曜日の由来について考えた

前置き

今月に 13 日の金曜日があったとかそういうことは何もない。 が、思考というものは唐突にやってくるものだ。 ふと、13 日の金曜日が不吉な日である由来について、ある考えが浮かんだ。

桝田道也 on Twitter: "13日金曜が不吉な理由。ふと思ったこと(既出かもしらん)。ユダヤ人は太陰暦で安息日は我々の暦の土曜。つまり14日夜は必ず満月並みの明るさで休日。商人にとって13日金曜は戸締りをしっかりせねばならない日だったり、自宅に持ち帰る売上げを強盗に狙われやすい日だったのでは?" https://twitter.com/mitimasu/status/622097112763756544

残念ながらこのつぶやきは私以外の誰の関心も招くことはなく、RT も fav も無かった。 が、私自身の関心はこのつぶやきのあとも増大し続けているので、 ブログでもう少し考えを進めることにする。

だれも読んでなくてもかまうもんか。ここは私の場所で、原稿料をもらって書いてるわけでもない。

さて、既存の「13 日の金曜日が不吉な理由についての諸説」は、だいたい次の通りだ。

  1. キリストの最後の晩餐に13人の人がいたことから、13は不吉な数とされた。また、キリストが金曜日に磔刑に処せられたとされていることから、13日の金曜日が不吉であるとされるようになった。13日の金曜日 - Wikipedia
  2. 北欧神話では12人の神が祝宴を催していた時に、13人目となる招かれざる客ロキが乱入して人気者のバルドルを殺してしまったとされ、キリスト教以前から13を不吉な数としており、13日の金曜日についても伝説を持つ。それは魔女としてキリスト教に追いやられたフリッグが11人の魔女と悪魔を招いて毎週金曜日に悪事を企んでいたからだという。なおゲルマン諸語で「金曜日」を表す語は「フリッグの日」に由来する。 13日の金曜日 - Wikipedia
  3. 12 進法を使う文化圏から見て 13 は扱いづらい数字だから | 実は安全な日、13日の金曜日が不吉とされる由来!厄払いはできないの? | DAILY INFO

(1)については、キリスト教会はキリストの受難を不吉なこととは考えない、という反論がある。教会と庶民ではちがうだろうが。(2)は、じゃあなんで11は不吉じゃないんだよってなる。(3)は、ケタをあげればすむこと。そもそも「n進数」はそういうものだ。16進数は17を扱いづらいなんてことはない。

(3)の説はバージョンちがいもある。12は2・3・4・6で割り切れて扱いやすい(それが12進数が普及した理由のひとつだ!)けど、13は素数で約数がないので使いづらい…ちぇっ!嫌な数字だ!という説だ。

これについてはアシモフが、パン屋の1ダース - Wikipedia の例から、商売がうまくいくように 13 を基数にする商人は多い。そこから 13 が幸運の数字になったっていいじゃないか……といった旨のことを作中人物に言わせている。(『黒後家蜘蛛の会』2 「#10 十三日金曜日」)

しかし 12 は約数が多く(万人に)使いやすいため好まれ、13 は約数が少なく使いにくいため嫌われたという説は説得力があると個人的には思っている。このことは、このエントリの後半に関与してくるので覚えておいてほしい。

また、キリスト教の影響が強い国であっても、イタリアで不吉な日は17日の金曜日であり、スペイン語圏では13日の火曜日が不吉だとされている。13日の金曜日を不吉とするのは、英語圏とドイツ、フランスなどに限られる。 13日の金曜日 - Wikipedia ということだそうだ。

英語圏とドイツ、フランスとなると、北欧神話由来説が有力候補になってくるが、それを確かめるにはスカンジナビア半島ではどうなのかがわからねばならない。が、ウィキペディアに記述がないので、ひとまず放置する。

本論

さて、ここからが本論。ツイートしたことを、もうすこし丁寧に書き直す。

古代の人々の多くは太陽暦ではなく、太陰暦を使っていた。

大昔のさらに大昔、文明の芽生え始め、まだ一年が何日かもわからないころ。一年の長さを知る手がかりは月の満ち欠けだった。

季節がひとめぐりするあいだに、月の満ち欠けがだいたい 12 回あったからだ。

この情報は農耕を始めた初期の人類にとって、非常に重要だった。まちがった季節にタネをまいても芽は出ないからだ。したがって、人々はいまが一年のいつかを知るために月の満ち欠けを利用しはじめ、月の満ち欠け一回が基本的な単位となった。 「1ヶ月」という言葉に「月」が入るのは、そういう理由だ。英語の MONTH だって明らかに MOON からきている。

したがって、太陰暦では、月が完全に欠けて新月になったときがその月の終わりとなる。再び月が細い光の線として現れた日が新しい月の初日だ。満月は月の真ん中である。

現在の我々が使う太陽暦とちがって、その月の何日目であるかと月齢が表裏一体になっているのだ。 3日の夜は三日月であり、15日は一五夜お月様(満月)だ。

では、13日に話を戻そう。

13日の月は十三夜月と呼ばれる。かなり満月に近い。

新月と満月のときは夜間の犯罪が増えるという。このデータを元に『月の魔力』なんてベストセラーが生まれ、今ではトンデモ本の代表格扱いされている。

月の引力が人体に影響しているわけではない。電気のなかった時代、新月のときは完全に闇夜になるので隠れやすく、満月のときは月明かりがあるので見つかりやすいが自分達も行動しやすい。犯罪者は自分に都合の良いどちらかを選んだわけだ。

そして太陰暦を採用している国では多くの月齢行事や給与支払いが月末か月の中間に集中するので、それを狙った犯罪もこの時期に多発する。

おまけに満月のときは、犯罪者じゃない人々もたくさん夜に出歩いて、よっぱらっては面倒を起こすのだ。 新月のときは月明かりがないため、単純な事故が発生しやすい。 こうした理由で、新月と満月の夜は事件の発生件数が多くなる。オカルトではない統計上の事実だ。

さて。

古代の人々は太陰暦を採用したと書いた。そうした人々の中に、とりわけのちのヨーロッパに大きな影響を与えた人々、ユダヤ人がいる。

ユダヤ教では神様は6日間お働きになって世界を作り(その出来栄えがあんまりよろしくないことは、ここでは関係ないので気にしないことにしよう)7日目にお休みになられた。そこでユダヤ人は神様のマネをして(いつだって、そうだ)自分達も7日目に安息をとることにした。

われわれユダヤ教にくわしくない一般日本人はここで、ふむふむ、それが日曜日というわけだ……と思い込むが、そうではない。ユダヤ教の安息日は現代の暦の土曜日なのだ。 その証拠はカレンダーにある。一般的なカレンダーは、左から始まって7番目の日は土曜になっている。

そしてキリスト教が生まれて広がるにつれて、キリスト教徒はユダヤ教のマネをやめ(いつだって、そうだ)新たに日曜日を自分達の宗教の安息日にした。

残念ながら(?)その頃までにカレンダーのフォーマットは固定してしまっていて、レイアウトを変えることはできなかったらしい。Dvorak 配列が QWERTY 配列に敗北したようなものだろう。

まあ、カレンダーのレイアウトはどうでもいい。

重要なことは、まとめると、太陰暦を採用してたユダヤ人にとって、13 日の金曜日は、かならず、ほぼ満月の週末の夜だったということだ。イタリアで不吉とされる17日の金曜日も、同じくらい明るい、ほぼ満月の週末の夜だった。少なくともユダヤ人にとっては。

現代で言えば花の金曜日だ。とすると、13 日の金曜日が楽しい日であってもいい。

しかし、キリスト教徒たちは中世に太陽暦に移行した。ユダヤ人は太陽太陰暦であるユダヤ暦を使いつづけた。

使ってる暦がちがう。となると、ユダヤ人にとって「ほぼ満月の週末」は太陽暦採用圏にとっては「ほぼ満月だが週末とは限らない」ことになる。

太陽太陰暦を使いつづけた保守的なキリスト教の一派であっても、キリスト教の安息日は日曜なので金曜日は週末ではなかった(週休二日制に移行した脆弱な現代人について 140 文字以内で考えを述べたまえ)。

そして、中世ヨーロッパにおいて流浪の民であるユダヤ人に許された職業は金融業だった。シャイロック!シャイロック!

まとめると、こういうことだ。

  • 太陰暦を使うユダヤ人にとって 13 日の金曜は、犯罪発生率の高い、満月に近い明るさの週末
  • ユダヤ人にとっては翌日(14日の土曜)は安息日で仕事を休む日だが、周りのキリスト教徒は休んでいない
  • ユダヤ人の仕事は金融業。盗賊に留守を狙われやすい仕事である

ということをふまえると、13 日の金曜はユダヤ人の金融業者にとって
「今日は 13 日の(あるいは 17 日)の金曜か。しっかり戸締りしなきゃ」
の日であり、自分や同業者が被害に遭いやすい日・実際に被害にあった日の前日であり、ゆめゆめ油断をしないよう自分に言い聞かせる日であったことだろう。

それがいつしか忌み日となっていった、ということではないだろうか。

その理屈なら被害に遭いやすい日・実際に被害にあった日に当たる 14 日の土曜の方はもっと忌み嫌われてるはず?うん、もっともだ。

これについては私は有効な「こじつけ」を提示しえない。

用心深いユダヤ商人のことだから、実際にいやなことが起きる当日より、戸締りに気をつけるべき前日を重視したのかもしれない。

あるいは、実は昔は 14 日の土曜が忌み嫌われていたのかもしれない。ユダヤ教徒は一日の区切りを日没としていた。近代になって一日の区切りを深夜0時とする考え方が普及するに従って、気をつけるべき「 14 日土曜の前半」は「前夜(13 日金曜)」にすりかわったのかもしれない。「イエス・キリストの誕生日の前半(25日の日の出まで)」が「クリスマス・イブ」にすりかわったように。しかし、それが起きたのが近代なら文献証拠がありそうなものだし、この線は弱いと認めざるをえない。

以上はすべて、もちろん、ただの想像である。しかし、説得力という点において私の説が最後の晩餐説や北欧神話説にそれほど劣っているとは思わない。どっこいどっこいくらいの勝負だと思っている。

付論

話はここで終わらず、もうちょっとだけ続くんじゃ。

上の説では「スペイン語圏では13日の火曜日が不吉だとされている」の説明がつかない。

ギリシャ時代より火星の赤は血の色を連想させたから、キリスト教徒が太陽暦に移行したあたりで不幸を招く曜日が金曜から火曜にとって変わられたのだというこじつけは言える。

が、そもそも、曜日はさして重要ではなかったのだろう。

ここで、冒頭の説の3番目の考え方に戻って、これを進めてみたいと思う。

このエントリは単なる自分の思考遊びなので、「13 金は満月の週末夜で危険」説にこだわってるわけでないし、由来が複数あったって何の問題もないと思っている。

しかし、同じエントリで続けるということは、つまりは先述の考え方の延長ということだ。

ユダヤ暦は太陰暦だと書いた。正確には太陽太陰暦だ。この単語はさっきチラッと使ったが、ここで説明しよう。

人々が月の満ち欠けをで一年を計るようになって、問題はすぐに明らかになった。 月の満ち欠け× 12 はだいたい 354 日あるいは 355 日であって、これを一年とすると3年で約1ヶ月、季節がずれたからだ。

そのころには一年が 365 日ということもわかっていたから、どうにかしなくてはならなかった。

しかし、すぐさま太陰暦を捨てるということもできなかった。機械式時計のない時代だ。紙もまだ発明されてないし、すべての人々が数字を読めたわけでもない。

新月になれば月が変わり、満月になれば月の半分が過ぎたことになる太陰暦は、文字が読めない人間にも使えるカレンダーだった。その時代に適した便利さがあり、まだまだ捨てられなかった。

したがって、古代の人々はどうにかこうにか太陰暦にパッチを当てて、どうにかこうにか実際の季節とのずれが少なくなるように運用していく道を選んだ。

そのひとつが太陽太陰暦だ。つまり、閏月を入れて季節のズレを戻すというやり方。つまり、この閏月の入る年は1年が13ヶ月あったことになる。

さっき、3年で約1ヶ月と書いたが、それは大雑把な計算だ。本当に3年ごとに1ヶ月入れればんでいたら、そんなに大変ではなかっただろう。

しかし、実際には 19 年のあいだに7回の閏月が必要だった。18 年に6回ではなかったのだ。

したがって、太陽太陰暦の作成はどこの国でも難しくめんどくさく国家の威信をかけた作業で、いいかげんな者に作らせるわけにはいかない大事業となった。

元号を変えるなど、勝手に暦を変える行為が朝廷や王家をないがしろにした、反政府的行為と見なされたのはそのためだ。

さて、作る方も大変だが、使う方だってそんな複雑な暦は手に余るのである。

暦製作者も庶民もどちらも、
「あ、今年は十三ヶ月の年だったのか!クソが!死ね死ねクソマジ死ね」
と思っていたのではなかろうか。

ちなみに、日本(江戸時代)は春分・夏至・秋分・冬至…といった二十四節季のうちの「中気」にあたる十二節季が本来の月からずれたら閏月を挿入していたというから、なかなかに面倒だったことだろう。

ヨーロッパでどうやってたかは知らない。なに、いずれにせよ、最初に入れるか最後に入れるか途中に入れるかしかないのだ。

そして、話は冒頭の(3)に戻る。

「あああ 13 ヶ月! 13 ヶ月の年というだけでもイライラするのに、この年ときたら2でも3でも4でも6でも割れない!ああめんどくさい!呪われた年だ!脳が痛ェ!オレは 13 がだぁ~い嫌いなんだぁぁぁぁっ!

……と、そんな人間が少なからずいたのではなかろうか。

おしまい。

我ながら、ツイートひとつをよくここまで引き伸ばせるものだと思う。

考えついたオレオレ説をだらだら書いているだけであって、絶対にそうだと思っているわけでも自説が必ず正しい異論は認めんと思ってるわけでもないので、ご理解を。

13 を幸運の数字としている文化もたーくさん、あります。

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