サクッと見るつもりだったけどサクッと見られる情報量なわけがなかった中津城
大分県中津市の中津城を見に行きました。
大分県だから、つい真っ先に「豊後」と考えてしまいますが、中津市は大部分が豊前です。
天守ばかりが城ではないとはいえ、昭和のコンクリ模擬天守なのでついつい軽んじてしまって、
「サクッと数時間で見てヨシ!」
くらいの軽い気持ちで行きました。
しかし、黒田如水が築城を開始し、細川忠興が完成させた城です。そのあと小笠原氏が入り城下町を完成させ、奥平氏が入り、前野良沢や福沢諭吉を輩出した藩です。大分県ってのは他にも学者系の著名人が多い県でして、つまり * サクッと見られる情報量じゃねえんだよナメんな! * だったのでした。
つまりは、不十分な訪問になってしまったのですが、いつかまた機会があれば見に行けなかった部分を攻めましょうみたいなね、老後の楽しみができたと思って深くは悔やまないことにします。
そうでなくても大分県、いろいろあるのに未履修が多いですね。杵築城天守も行ったときは修理中だったし、臼杵城も真夜中にそばを通っただけ。 宗太郎越えで苦労してるわりに待ち時間で佐伯城を見に行ったとかはなく。宇佐八幡も未訪問。
まあ愚痴はともかく、ある程度は見たのだから、それを喜ぶことにします。
黒田如水は西日本の人だから、武田氏や徳川氏の重視した馬出なんてもんは「ハァ?」だったんでしょうか?
石垣が一部、残ってます。隅角の縦石積みや鏡石などスタンダードな大手門らしさが見られます。
で、ここで気づきました。
「いかん! このペースでいちいち立ち止まってたら日没が来てしまう!」
そもそも中津駅改札を出たとき、すでに 15 時をすぎていたのです。
このあとは中津の偉人・賢人の看板があっても素通りしました。
情報量が多いのは大変すばらしいのですが、こちらにも都合があります。
廃藩置県後に中津市学校の門となり、南部小学校の門となり、老朽化に伴い解体された後、文化財として貴重であるってことで復元されたとのこと。
焦ったせいか意外に遠いと感じた、駅から模擬天守まで 1.4km。すでにかつての「丸の内」なはずなんだけど。
着いたー! 御用屋敷遺跡の説明には高石垣が威容を誇ったとあったけど、正直、そんなに高くない。普通。
18きっぷを使ったお城訪問旅行では当然に行程の都合で
「寄れたから来ました。日没前に一部でも見られたら御の字です。なんならきれいな夕焼けと城が見られたらそれでいいすらある」
という心構えで臨むことはけっこうあります。
でも中津城は駅に15時到着だから、その心構えじゃなかったのでした。そうだよね冬は日没が早いもんね……
いかにも野面積み。ゆるやかな曲線を作って内圧に対抗する「輪取り」という技法が使われてるとのこと。
中津城が作られる前は寺院だったんじゃねえか、という話。ありえると思います。
天守。コンクリ模擬天守ですが近づけばそれなりに気分は高揚しますね。
史実的には「そもそも天守が存在したかどうかも疑われる」とされます。
いくつかの史料によって天守の存在が匂わされているのですが、江戸時代の絵画資料では存在していません。 あったとしても早い段階で消えたのは間違いなさそうです。
戦乱で荒廃してた豊前・豊後の立て直しとして豊臣系大名が九州に送り込まれたわけなので、彼ら新領主の支配マニュアルとして石垣+天守で威容を示すというのがあったと考えられ、天守があった可能性は低くないと思います。
とはいえ入植したときに12万3000石なので、天守を立てるには微妙に財力不足を感じます。ギリギリ感。天守があった可能性は高くないと思います。
つまり、なんともいえねえが私の答えです。
「くろかんくん」はまだわかるとして「おっくん」は、それでいいのか奥平?と思わないでもありません。
まあ、くろかんくんが烏帽子をつけた猿を腕にだっこちゃん人形させてるのも、よく考えるとそれでいいのか?と思いますが。
天守台は昭和に拡張されたのかな? 隅櫓の基礎を流用したとは思うけど天守を乗せるには面積不足な気が……
歴史が濃いから展示物の内容も濃い天守内部
なんか焦ってたからか黒田如水の石像は見落としました。……と夕暮れにおびえながら内部へ。
天守内部ってようするに博物館なんですよね。そこに貴重な史料があったりはしますが、私にとっては現存城郭遺構>展示物なので、コンクリ模擬天守ともなれば時間が無いときはスルーすることもあります。
でもまあ河口の三角州の海城ですから、なかなかの眺望が期待できるだろうと思って入ることにしました。夕暮れでしたしね。
レプリカではなく奥平家の本物という所がでかいですね。黒田→細川→小笠原→奥平という変遷があったので、遺物も本物が多い多い。ありがたや。
烏帽子。これは他の城ではあまり見かけない展示物。ありがてえ。
え?烏帽子の「纓」ってシースルー素材なの? 個体的特徴なのか一般的な仕様なのかわかんねえ……
おっくんのご先祖が戦国時代に舶来のビロード(に見えないけど説明にそう書いてあった)を使って作った羽織。
「めっちゃええやん」「ヒューヒュー♪」って感じで、仲間の武将からめっちゃいじられて(物理的に)そうだと思った。
ちなみに私は子供の頃、ビロードを1時間も2時間もなでつづけている子供でした。ライナスの毛布……とはちょっとちがうか。
日の丸の扇子。戦国大名はこの金に赤の日の丸扇子を実際に好んだとのこと。
地紙を赤く塗って、そのうえに金を貼ってるんですね。金属に塗れるペンキのある時代じゃないから当然なんですが、説明されて「あー」てなるやつ。
参勤交代ジオラマ。照明が暗くて写真を撮っても細部不明瞭になっちゃうので改善されて欲しい。
奥平家の鷹狩りの道具。鷹に飲ませるための水筒に金箔で家紋が入ってる。さすが御鷹。
鷹狩りの道具もほかの城では私は見た記憶がないですね。まじでありがたいです。
奥平家が出世したきっかけ、長篠合戦の屏風。「写」て書いてないってことはオリジナル? すげえ。
長篠合戦図は人気の画題だったらしくて、作品が多く残ってるみたいですね。
どれがオリジナルかわかりませんが、これは先行する長篠合戦図屏風を参考にして掛軸化した準複写みたいなものなんでしょうか。
うお、これもあるのか。鳥居強右衛門磔図。これは 1843 年の写だそうです。
落合左平次道次背旗の鳥居強右衛門磔図も中津市歴史博物館が所蔵しているのですが、これは展示されていませんでした。
【会期終了】「落合左平次道次背旗(鳥居強右衛門磔図)」特別公開 – 中津市歴史博物館
https://nakahaku.jp/2024/05/10/%E3%80%8C%E8%90%BD%E5%90%88%E5%B7%A6%E5%B9%B3%E6%AC%A1%E8%83%8C%E6%97%97%EF%BC%88%E9%B3%A5%E5%B1%85%E5%BC%B7%E5%8F%B3%E8%A1%9B%E9%96%80%E7%A3%94%E5%9B%B3%EF%BC%89%E3%80%8D%E7%89%B9%E5%88%A5%E5%85%AC/
そもそも、模擬天守は【奥平家歴史資料館】で、【中津市歴史博物館】は本丸の近くにある別の博物館なのです。
このへん、天守が中津市の所有にならなかった経緯を含めてのねじれを感じてモヤモヤ。
唐突に細川忠興の蛸壺。「細川忠興の蛸壺」という言葉の意味が頭に入ってこない。
細川忠興はマイ蛸壺を持ってて、それで蛸漁を楽しんでたってこと? オチャメやん。
天守最上階からの眺望。絶景ではないけど川と海が見えてなかなかの景色。
人間の視界の範囲を越えたものは情報が漫然としていて心に響きにくい気がします。 絵巻が廃れて本が勝利した理由は利便性だけじゃないんじゃないかな。
濠が枯れてるように見えるのだけど、別に異変でもないらしくて。
潮の満ち引きが前提になってる海城ならではってことなんですかね。
山の名前がわからないので心の中で勝手に「豊前富士」ということにしました。
神社が多いので感じにくいけど、土木じゃない作事としての現存建築はやはり少ない城址。
天守を出たらもう日没
昨年、千田先生が「濠の水を安易に抜いたら胴木が空気に触れて劣化がうんちゃら…」と危惧しておられたので気になっちゃって気になっちゃって……
この程度の抜け方なら問題ないのかしらん。
中津祇園祭で使う祇園車の車輪を防虫のために使わないときは濠の泥に沈めておくのだそうで、冬に水枯れするのは例年のことっぽい感じ。
もう光量が足りない。雰囲気はあるけど、資料写真としてはダメダメ。
それでも天守ぐるぐる動画の素材は大急ぎで獲ったりして。こういうのは明るいときに撮らなきゃダメですね。ほぼほぼシルエットでせっかく回しても3次元的な情報が少ない。
> [動画] 中津城天守をぐるぐる回してみた|桝田道也|pixivFANBOX(※支援者限定公開記事) — https://mitimasu.fanbox.cc/posts/9211140
こういうのも「無用 扇の勾配」みたく超芸術の一種なんかしらん。
初日の出を見るにはよさそうな天守ですね。元日に開城してるかどうかしらんけど(めんどくさいので検索もしない)。
コンクリ模擬天守ですが、凛とした美しさはありますね。良い設計。
天守はバリアフリーじゃないけど、周辺の河原の土手はバリアフリー。
このへんも天守が中津市じゃなく民間に売却されてしまった余波を感じます。市民の血税を使うのだから少しでも安くというのはわかるんですけど、相手がいったん大幅に譲歩して合意したあとに、さらに「もう一声 勉強してよ」はないでしょうよ。家電量販店で洗濯機を買うんじゃないんだから。
こういうのをねちっこく見て回る時間はありませんでした。もう駅に向かわないといけない時間。
18きっぷ旅行してると、カラス対策してない町って意外に多いなと思う。カラスよけネットとかなにもしてない、みたいな。
合成元がちゃんと撮れてないから綺麗につながってないへっぽこパノラマwww
というわけで、建物としての現存建築はそんなにないコンクリ模擬天守の城ではあったのだけど、中津という都市そのものに歴史の蓄積があって、展示物の内容も濃い城址でいた。
サクッと見て終わりにできる城ではなく、腰をすえてかかるのが理想の城と城下町だったのです。
まあ、そうは言っても人生も財布も有限なので、ぜんぶがぜんぶ理想通りにできるわけじゃありませんやね。