雨の中、関東七名城のひとつ、太田金山城を見て回った
その日は朝から天気が悪かった。
あたりまえだけど、お城回りはいつも晴天にめぐまれるとは限らない。 そして、晴れるまで粘れるほど旅費や日程に余裕があるわけではない。
雲海に浮かぶ竹田城を撮りに行って雨に泣いた人は、おそらくたくさんいるはずだ。 …と、そんなことを考えながら太田城を目指した。思ったよりも駅から遠い。
太田金山城は群馬県太田市の金山山頂にある石垣造りの城。
以前は、北条氏が秀吉の関東侵攻に備えて、西軍の城郭の特徴である石垣を真似したものではないかと言われてたものの、その後の調査で由良氏の時代、1560~80 年ごろには石垣造りの城だったことが判明。関東には石垣の技術が遅れて伝わったとするそれまでの史観を覆し、関東には関東の石垣技術があったことがわかった……とかなんとかだったかなぁ(うろおぼえ)
車がないと、ちょっとアクセスが大変
太田市金山地域交流センター。金山城に関する博物館的な施設も兼ねてるっぽかったけど、 まだ開館時間ではなかった。思えば、ここに自転車を停めていけばよかった。 ずっと押して登ったけど、下りが少しラクという以外にメリットなかった。バカすぎ。
山頂の城西大手入り口まで、ここから 1.7km ほど。駅からは 5km。太田金山城へのアクセスを調べたら、平気で「徒歩 60 分」とか書いてあるんだもんなー。
ふもとの大光院まではバスあり。それでもそこから 3km くらいですが。
太田市金山地域交流センターのそばに、こういうのがあったけど、草と土で覆われてて、どこが石塁でどこが自然石か判別つかず。
そのすぐそばの「櫻ノ井戸」
冷泉としては効能がありそうだけど、飲みたくは無い色。
山頂までこんなクネクネ道が 1.7km 。職業自転車乗りの人が登っては降りを繰り返し訓練してる道だった。 ほんと、なんで自転車を押して登ろうと思ったんだか……。もうバカ。ほんとバカ。
途中で雨が激しくもなったりしたし。結局、下山するまで GXR は出せず。持ってて良かった防水デジカメ!Optio W90 たん、ちゅっちゅっ……でも逆光に弱ぇええええー。
石垣だか岩肌だか
発掘作業はまだ続いているらしい。
石垣が見えた。もう少しだ。
ん?これは……石垣じゃないな。
ここまで来てやっと気付いた。ここ、岩山だ。それも柱状節理だらけの。さっきの大手口石塁もよくわからんわけだ。
城西
城西大手口に到着。とりあえずシェー。
天気が良ければ、眺めも良かっただろうに。
堀切。前日に武蔵松山城の巨大な空掘や堀切を見ていたので、ここの堀切ではそれほど感動は無かった。
お城にいたのは観光客と管理人っぽい人、合わせて4~5名くらいだった。まだ、朝早い時間だったしね。
ようやく、「これが見たかった」って雰囲気の建造物が出てきましたよ、と。
馬場下通路。
石垣は間石のない打込接…だと思う。間石が打ち込まれてないのに打込接と呼んでいいのかわからないけど、切込接よりは隙間が多いので。
この辺が太田金山城が
「整備がやりすぎ」
と批判される理由なのだろうか?
1560~1580 と言えば、まだ石垣先進地域の関西でも自然石を用いた野面積みが多かったころ。 石垣後進地域である関東で、こんなに整った石垣はなかったのでは?という批判が出るのはわかる。
しかし、整形石を使った石積みは、それこそ古墳時代からあるのだ。
石垣を自然石で作るか半整形石でやるか完全整形石でやるかっていうのは、 技術力よりも「人足の数・予算・工期」の問題だったはず。
所領が狭くて人足や予算が足りなかったり、石切り場から遠かったり、乱世でゆっくり城を作ってる余裕が無ければ野面積みにならざるをえない。 一方、太田金山城のようにそこらじゅうに石材に恵まれた場所なら、 中世といえど半加工石を使った石垣を作るのはそれほど難しくなかっただろう。
……というわけで、石垣に関しては決して「やりすぎ」な復元だとは言い切れないと思います。
これは石垣ではない。
石垣と岩肌のコラボレーション。
掘っ立て柱の跡に柱を掘っ立てるのは、たしかにやりすぎな気がしないでもない。
このあたりで雨が激しくなってきた
雨が本降りになってきたので、たまらず休憩所みたいな建物に飛び込んだ。 歴史的建造物でない休憩所ですら、丸太組み、木皮拭きで、屋根を石で押さえ…と、この凝りっぷりなのだから、 うれしい方向でやりすぎだと思う。
しかし、雨に面食らって、物見台方面に行くのを忘れてしまった。orz……
休憩所は、なんと雨漏りのサービス付き。21 世紀の一般住宅じゃ、もはやなかなかお目にかかれない。
雰囲気はよかった。雰囲気は。
屋根材にキノコが生えるなんて、現代人にはなかなか発想できないと思う。 こういうのをさりげなく描けばマンガにリアリティが出る……かもしれないが、 屋根材の裏側をマクロで描くチャンスがあるシチュエーションって想像もつかない。忍者モノ?
標高 235m 。あたりは雲につつまれた。眼前には蜘蛛。
水墨画の世界も悪くないが。はたして、今日はずっとこんな天気なのだろうかと不安になった。
雨は降り止まないが、時間を無駄にもしたくないので、再出発。どうせ夏だ。 デジカメは防水だ。問題ない。
大堀切。武蔵松山城に負けず劣らずの大きさ。すごい。
月ノ池。あまり渇水の心配はなかったのか、貯水池というより石垣が崩れないように排水した水を集める池だったらしい。
この池が、当時このような石垣造りの池だったかどうかは疑わしいという。 以前はただの水たまりのような池だったとか。 この池の周辺で多くの材木や石材が発掘されたのを理由に、もう一方の池である 日ノ池を模して整備されたらしいが……ちょっと根拠は弱い。 わからんでもないけど、やりすぎという批判が出るのももっともだ。
さて、月ノ池を過ぎるといよいよ……
本城だ!本丸だ!巨樹だ!
月ノ池を過ぎると、これだ。
本丸、ドーン。
ドドーン。
やはり、お城は大手から見て行くのが最高ですね。 私は彦根城や伊予松山城を搦手から登ってしまったんですが、 突然、主郭がヌッと現れるサプライズはあるものの後半グダグダで……
ケーキの苺は最後に食べる派です。 ジリジリと盛り上がって、ついにラスボス登場!うわーい!ってのが良い。
排水溝。太田金山城の石垣は、どうも水はけのための栗石は使われてない模様。とくに下の方の石垣が水の圧力で崩れやすいらしい。
あいにくの雨で、雑誌やウェブで見た太田金山城の写真とは趣がちがうが、これはこれで良いと思った。
日ノ池。池のそばになぜ井戸があるのかというと、日ノ池はどうやら神事のための池だったかららしい。
霧よ、雨よ。
太田金山城の大ケヤキ。スタンプラリーの幟の場所は、もう少し配慮して欲しかった。しかたないんだろうが。
山頂にある新田神社。
賽銭の置き方が愛されてる感じだ。
整備されてない部分も
朽ち錆びた藤棚とベンチ。かつてはここで藤を見にきた観光客に飲食物などを販売していたのだろう。
藤の本体は樹勢あふれるご様子であった。季節になれば、きっと見事な藤の花が見られることだろう。
廃墟……というほどでもないが、整備されすぎな金山城遺構との対比がすごい。
下山
クモの巣に雨滴。
帰り際に見上げて、あんなとこ通ってない!と慌てて戻ったけど、通行禁止だった。
結局、城西の大手入り口に戻るまで、雨は降り止まず。今日は一日、こんな天気なのか……
しかし、下山したころに雨はやみ、利根川を渡るころには青空が見え出したのだった。
「モチロンネー」